初版の序


   一

 この一書は前著『茶と美』の姉妹篇である。折を得て更に『物と美』の一

巻をこれ等に添えたい。何れも造形美の世界が対象である。

 『民と美』と題した所以は、この二つのものの間に深い結縁があることを

語るためである。ここに納めた二十余篇のもの、多かれ少なかれ悉くこの真

理に触れる。

 読者はここで民芸理論の本旨を了解せられるであろう。残念にも今日まで
                       ナオザリ
美学に於いて美術史に於いて、「民」の存在は殆ど等閑にされた。民衆と云

えば、常に凡庸な者を連想せしめたからである。そうして優れた美は異常な

ものであり、従って天才のみがこれを産み得るのであると断定された。近世

の個人文化は、吾々に如何に個性が美の中枢であるかを、しげしげと説いた。

それ故個性に乏しい一般の民衆は、美の世界からは縁遠い、ものうげな存在

に思えた。

 そう考えられたのも無理はない。今の吾々の生活を顧みると、周囲には余

りにも愚鈍な醜悪な品物が群り集まる。原因は凡てが平凡な職人達が作るた

めだと考えられる。かかる事実や見方は愈々天才への謳歌を合理的なものに

させた。そうして民衆は救い難い凡俗なものに思えた。

 のみならず彼等の作る品物は、何れも用途に縛られて出来る。決して美の

ために創作される自由な品物ではない。然るに真の美はどこまでも自由でな

ければならない。かかる考え方は作物を偏へに鑑賞的なものに誘った。美術

は「純粋美術」を以て任じた。かくして一般の工人達が携わる実用工芸は、

程度のいたく低いものに落ちた。

 この個人中心の見方や、自由主張や、美術至上の見解に対して、抗議を差

挟もうとするのが民芸運動であった。何も天才の価値を疑おうとするのでは

ない。民衆に許された美への驚くべき一道があることを確定しようとするの

である。それ故在来の美の標準への大きな修正を要求したのである。一種の

価値転倒を迫るものであるから、最初は嘲弄を受け疑惑を招いた。

 だが私達は動かし得ない事実を見届けたのである。それ故吾々の信念にゆ

るぎはない。私達は如何に工人達が平凡なるままに、素晴らしい仕事を果た

すかの沢山の例を見た。又作者の名を問う必要のない幾多の実用品の中に、

並々ならぬ美が現れるのを何遍も見た。又個人に終わらない伝統の力に、驚

くべき美への準備があるのをまともに見た。私達は又稀有な天才すら容易に

近づき難い境地に、楽々と達している工人達の多くの姿を見た。

 そうしてこれ等の事実は、美の世界に於いても他力の教えが偽りでないこ

とを示した。しかも美の相に様々なものがあろうとも、畢竟「平常美」なる

もの以外に美の帰趨のないことを知った。如何に異常なものが、正常なもの

の前に、力が脆いかを見た。そうしてこのことは、「平常心」を説く禅の教

えが、どんなに正しいものであるかをも報らせた。

 ここで当り前な人間が、素直に作った正常なものがいとも光る。何も個性

の美が唯一の美でもなく又最後のものでもないことが分かる。この時もはや

「民」と美との厚い結縁に就いて疑う余地は残らない。歴史は新しい見方か

ら書き改められねばならない。とかく今の民衆が優れたものを作り得ないの

は、偶々周囲の事情がそれを強いているからに過ぎない。時を得れば再び驚

くべき仕事を見せるであろう。天才への肯定と共に民衆への積極的肯定なく

して、美の歴史を綴ることは出来ない。又このことなくして未来の歴史を正

しく深いものにすることは出来ない。


   二

 この本は造形の世界の中でも、特に工芸を主題にする。この題材がとりわ

け私に魅力を有つ所以が二つある。一つはこの世を美の王土となさんために

は、どうあっても工芸の分野に繁栄が来なければならないからである。こん

なにも量に交わる美はなく、又こんなにも生活に即する美は他にない。私達

は形ある物を離れて一日も暮らすことが出来ない。これほど身近くに交わる

人間の伴侶はない。だからこれ等のものが低調になるなら、生活も亦それだ

け低調なものに沈むのである。なぜなら日々の用具こそは、民衆の生活の何

より如実な表現に他ならないからである。それ故かかるものの意義と価値と

を正しく了得することは、この世を美しくするために何にも増して必要だと

思える。

 第二には「工芸的なるもの」こそは、美の最も本質的な性質であると考え

られるからである。美とは工芸的なものに熟したものである。真に美しいも

のは、工芸的なる故に美しい。この新しい認識-そう呼んでよいであろう-

これこそ来るべき美学にとって大きな役割を果たすであろう。幸いにもここ

で私達は美の標準を握ることが出来る。「工芸的」というのは、美の煮つめ

られた相を云うのである。それを「工芸化」と私は呼ぶ。或は「模様化」と

云ってもよい。凡ての美はいつしか模様を追う。模様は謂わば美の結晶であ

る。ここに美が熟するのである。

 これ等のことを想う時、工芸的なるものへの理解が、如何に美の秘義を解

く鍵となるかを知るであろう。それ故今までは傍系だと考えられた工芸問題

が、如何に造形問題の中心となるかを悟るであろう。工芸を論じることは、

美の本質を論じる所以になる。

 このことをまだ誰もはっきり述べたことがない。それ故多くの読者には難

解な理論と想われるであろう。今まで工芸は美術の前に小さな低い存在とよ

り考えられていないからである。委細は本文が尽くすであろう。私は独断を

加えようとするのではなく、寧ろ率直な直観の上に立つに過ぎない。

 だが工芸の中でも、民芸の分野を更に主要な題材にする。なぜならここに

来て、工芸本来の性質、即ち生活に即した用の性質が最も著しく現れるから

である。そうして特に民芸の意義を重く見る所以は、それが健康な正常な美

と、最も必然に結ばれ易いからである。民芸の美には汲み尽くし得ないもの

が宿る。古くこの事実に気付いたのは茶人達であった。初期の名だたる茶器

は悉くが民器であった。茶人達はその美に直観で迫った。併し彼等は真理問

題にこれを深めずに終わった。この一冊は幾許かその欠点を補うであろう。

 では将来、個人として立つ作家達はどんな任務を有つであろうか。何より

個人主義からの離脱が要求される。何人にも出来ない自分一人の作を生むこ

とに誇りを有つよりも、寧ろ多くの工人達の中に、自分を活かす仕事に使命

を感ぜねばならぬ。個人としての仕事から公人としての仕事へ進み熟さねば

ならぬ。これからは社会意識なくして個人の道は許されないであろう。作家

は民芸とどれだけ深い接近を有つかによって、彼の存在理由を示すであろう。

個人は個人の殻を脱がねばならぬ。かくして工芸と結合することによってこ

そ、美術の新しい甦生があろう。美の文化は工芸文化に熟さねばならぬ。

 では凡庸だと思われる無名の工人達が、どうして美しい作を生み得るので

あろうか。感謝すべきことには、美への道は自力の一道に限られているので

はない。別に他力易行の一道が彼等のために仕組まれているのである。それ

によって凡夫衆生にも驚くべき仕事が果たされるのである。今までとかく彼

等を蔑んで来たのは、僭越な振る舞いに過ぎない。まして自力に立って難行

の道を進む者が、どれだけ都に達し得たであろうか。美の歴史に於ける無名

な工人達の業蹟は並々ではない。自己は小さくとも彼等を守る見えない力は

大きい。

 これ等の真理こそは、如何に「民と美」との関係が深いかを語る。進んで

は民があってこそ始めて現れる美があることを語る。而もそれ等の美は、ど

んなに多くの魅力ある事柄を吾々に囁くであろう。如何に質素と美とが結合

し得るか。如何に労働と美とが一致し得るか。如何に多量と美とが調和し得

るか。如何に実用と美とが融合し得るか。如何に廉価と美とが交流し得るか。

両手に溢れるほどの教えがそこに読まれるではないか。そうして終わりにこ

れ等の泉から湧き出る美が、如何に自然で無事で正常であるかを見極めるこ

とが出来る。この一巻に納められた幾多の論稿は、これ等の秘義を説くこと

に費やされるであろう。


   三

 この一冊は前著『茶と美』との場合と同じように、吉田小五郎君の厚誼に

よって編集された。多忙な同君のことを知るだけに感謝に堪えない。納めた

凡ての論篇はこれを機会に訂正し増補した。多くは『工芸』の誌上に載せた

ものであるが、それ等のものの執筆年記は巻末に添えた。本書に差し入れた

「雑器の美」と題した一篇は、止むなき慫慂によって、先般世に出た『私の

念願』中に収録したものであるが、元来この本に入るべき性質のものである

から、重複の嫌いはあるが、却って読者の便宜を想いここに再録するに至っ

たのである。それに私個人にとっては、「民芸」に就いて語った最初の一文

であって、思い出が深い。

 挿絵は立論を具体的にさせるために選択された。実はこれ等のものは、言

葉よりも、もっと雄弁に真理を語ってくれるのである。

 小間絵は鈴木繁男君に、題扉はいつもの如く芹沢けい介君に負うた、感謝

の至りである。又本書を再訂するに際し、厳冬の季、私に暖かき一室を与え

られた鈴木篤氏とその一家の方々とに、深い謝意を表さねばならぬ。


  昭和十九年正月

                   静岡市大谷の寓居にて

                         柳   宗 悦

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